私の男

以前『チョコレート・ドーナツ』を観たときに流れていた予告編でとても気になっていた映画『私の男』を観てきました!


『私の男』劇場予告編 - YouTube

 

あらすじ(※ネタバレあり)

物語は、津波で家族を失った10歳の花(二階堂ふみ)を遠縁の親戚である淳悟(浅野忠信)が引き取るところからはじまる。ふたりを心配する、彼らの親戚であり紋別の有力者である大塩(藤竜也)に対し、淳悟は「俺は家族がほしいんですよ。」と言う。大塩は「あんたには家族の作りかたなんてわからんよ。」と言うが…

家族であったはずのふたりは、いつしか男女の関係になってしまう。花が高校生になったころ、ふたりの関係を察した大塩は淳悟から離れるよう諭すが、花は大塩を流氷の海に連れ出す。ここで淳悟と花が血のつながった親子であることが明らかになる。予告編で流れる花の「何したって、あれはあたしのぜんぶだ」はこのシーン。後に大塩は凍り付いた遺体で発見される。

淳悟と花は逃げるように東京に移り住むが、ある日大塩を殺害した人物の証拠を持った刑事がふたりの元に訪れる。その刑事を淳悟は殺してしまう。

数年後のある日、派遣社員として受付嬢をする花を、同じ会社の尾崎(高良健吾)が家まで送り届けると、家はゴミ屋敷。堕落した生活を送っていた淳悟は尾崎に対し「花はお前には無理だ。」と言う。

映画の最後は花と花の婚約者の尾崎と淳悟がレストランに居るシーン。机の下で花は淳悟の足に触れている。

原作と映画では時系列が逆に描かれているそう。 原作の小説は読んでいないけれど、映画はすばらしかったと思う!しかしラストがうまく飲み込めなかったというか。あえてあいまいに描かれていたのかもしれないけれど。花の「ぜんぶあたしのもんだ。」という台詞のぜんぶとは、淳悟だけではなく尾崎も、ほんとにぜんぶなのかもしれない、とラストのシーンから感じた。

幼い花が淳悟の手を握るシーンにはじまり、この作品では手?指?が象徴的に描かれている。中学生の花が親戚の家で淳悟の指を舐めているシーンとか、なんだかとってもエロティック。

ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より》の2楽章が何度か流れるのだが、それがノスタルジックで切なくてうつくしくて。北海道の流氷と雪景色の映像も圧倒的にうつくしい。雪のなか家に帰って来る淳悟とそれを待っていた花のキスシーンはとても、きれいな絵だと思った。これらの儚げな音楽や白い風景と退廃的なふたりのシーンの対比は暗い物語を中和しているような、よりいっそう引き立てているような。

二階堂ふみの演技が妖しく、すさまじかった。淳悟の恋人だった小町に「あの人ね、他人じゃだめなの。知ってた?」と言うシーンとか。おそろしい。浅野忠信もぴったりの役なんだろな〜。

全体的によかったと思うのだけど、しかし血の雨のシーン(近親相姦のメタファー?)はあまりに陳腐な印象だったなあ。

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ところで映画について調べていたときにこんな記事(http://biz-journal.jp/2014/07/post_5441.html)に出会った。『私の男』の舞台挨拶の際に観客からの質疑応答で近親相姦の被害者だと言う女性からこの作品に対する疑問が投げかけられたという。また、映画の原作となった桜庭一樹『私の男』直木賞を受賞した際に、選考委員のひとりである林真理子氏は、この作品に対し「嫌悪感」と題した選評で厳しく批判したというのである。確かにこの作品では近親相姦や殺人というインモラルな題材が扱われている。それらを「生理的に受け付けない」「気持ち悪い」と感じる人がいるのは当然仕方のないことだろう。わたしだって映画の登場人物のようなふたりに現実に会えば間違いなく嫌悪する。しかし文学作品や映画に対しモラルに関する批判をするのは何か違う気がする、とわたしもこの記事の筆者と同じくそう思う。

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